「母になるなら、流山市。」をキャッチフレーズに、子育て支援に積極的に取り組み、人口増加率8年連続県内No.1、若い子育て世代に選ばれる街として、今や海外からも注目を集める、流山市。

約20年前、子育て世代の活気に満ちた今とは別世界だった当時、流山が持つ街としてのポテンシャルを信じ、その可能性を引き出すため、市長選に挑んだという、井崎義治市長。2003年の就任以来、5期18年にわたり、常に攻めの市政で、住み続ける価値の高いまちづくりに取り組まれてきた井崎市長に、これまでの歩みと流山市の未来について伺いました。

流山を熱く語る井崎市長

01 流山の可能性を信じて

流山が持つ、潜在的な力

井崎市長/私が生まれたのは杉並区ですが、小中学校時代は柏で育ちました。よく馬橋駅で流鉄流山線の車両が待機しているのを見て、この先にどんな街があるのだろうと思っていましたが、それが流山でした。サンフランシスコ州立大大学院を修了後、現地の会社に就職し、都市計画や地域計画に携わっていました。

33年前、帰国が決まり、都市計画に携わってきた人間として、どこに住むべきか、しっかりリサーチしました。サンフランシスコは坂の街で、大学院には自転車で通っていましたが、ブレーキを少しでもかけ過ぎると横転するくらい急峻です。若い時はよくても、高齢になったら住めないと思いました。その後、ヒューストンに移りましたが、今度は街が真っ平らで立体感がなく、面白味がない。しかも低地は植樹しない限り、緑がありません。

こうした経験から、住むなら緑のある高台で、歳をとっても登れるくらいの緩やかな起伏のある街がいいと考え、多摩丘陵、狭山丘陵、武蔵野台地、下総台地などを候補に探しました。緩やかな斜面で地盤が強固、豊かな緑に恵まれた地形が気に入ったこと、加えて、TX(つくばエクスプレス)の開業が予定されていたこと、常磐道に流山インターができたことも交通の条件としてよかったので、流山に住むことにしました。

開発前の流山おおたかの森駅周辺

流山市の危機、そして課題

井崎市長/当時、流山には、2つの大きな危機がありました。一つは、急激な少子高齢化。もう一つがTX沿線区画整理事業です。

少子高齢化については、日本全体よりも、大都市近郊のベッドタウンの方が急激に進みます。団塊の世代が地方から東京に出て来て、就職後、30代で郊外に家を構えたことから、流山もこの世代の割合が多い。流山自体は比較的所得の高いサラリーマン層が多く住んでいますが、団塊世代が60歳を過ぎて年金生活に入ると、一気に税収が落ち込み、福祉の負担が増え、人口が減る典型的な少子高齢化を迎えます。これが一つ目の課題。

もう一つが、TX沿線の区画整理で市に課せられた事業推進と保留地の販売促進です。TX沿線一帯に広大な宅地や商業地の開発が計画され、その開発規模は約3,270ha。昭和30年代の高度経済成長期に造成された多摩ニュータウンの開発規模・約2,884haと比べても約13%広く、その中で流山市に占める施行面積は約627haと、市域の約18%に相当する広さで、総事業費が約1,300億円にも及ぶ大事業でした。

当時、流山市が行った調査では、TX沿線における街の知名度は、1位がつくば、2位は柏、3位が守谷で、流山の知名度は低い方のグループでした。こうした状況で果たして売り切れるのか、最悪の場合、売れ残る、あるいは安くしないと売れない事態も起こりうるわけで、そうなれば、市の赤字が増えてしまいます。これは何とかしなければと危機感を抱きました。

街としての流山に可能性は感じていましたが、その可能性も顕在化させてこそ意味がある。それで思い切って、市長選に出ることにしたのです。でも、地盤があるわけでもない。当然ながら落選しました。ただ惜敗だったことから、次のチャンスに向けて、同じ危機感を持つ市民が中心になって対話集会を重ね、2度目の挑戦で当選しました。政治家になりたいわけでも、市長になりたいのでもなく、あくまでも街をよくするための手段が市長だったのです。

こうした経緯で市長になり、最初の課題は、この流山市をTX沿線でいちばん早く、いちばん高く売れる街にすることでした。
開業当初の流山おおたかの森S・C本館

02 働きながら子育てできる、森のまちへ

流山を、みんなが住みたい街へ

井崎市長/私がアメリカに暮らした12年の間に、仕事で北米を中心に五大陸100都市を訪れました。この体験で確認できたのは、みんなが住みたい人気の街・住宅地、つまり、売りたい人より買いたい人が多い街というのは、 “緑の多い良質な住環境”、そして、“快適で楽しい都市環境”でした。
こうした環境を備えている街や住宅地が発展し、景気が悪化しても、きちんと買い手がつく。それは世界共通で、流山もそうした街づくりを目指そうと考えました。

まず、現状を分析するため、「SWOT分析」を行いました。これは「強み」「弱み」「機会」「脅威」の4つのカテゴリーで外部環境や内部環境を分析する手法で、これでわかったのは、緑が多いことを理由に転入してきても、いざ生活が始まると、流山の緑はプラスとして認識されていないことでした。

「不法投棄」「ゴミの山」「ちかん注意」など、“緑=危ない”という認識が広がり、「都心から一番近い森のまち」という都市イメージを掲げた時も、「流山おおたかの森」という駅名の変更をした時も、一部から異論の声が上がりました。それは、緑や森に対してプラスのイメージを持ち続けていなかったからでした。

そこで、こうしたマイナスイメージをプラスに転じていくため、まず「楽しみ、親しむ緑へ」という戦略を立て、緑を活用した施策として、森を体験するイベントや森の整備に積極的に取り組みました。一方、緩やかに人口が増える中で、せっかく緑があるから引っ越してくるのに、開発が進むたびに緑が減っていくという自己矛盾を解決するため、“緑を増やす”、あるいは“緑を回復する”開発手法に転換し、条例やガイドラインを策定しました。

緑に関する代表的な施策として、2006年に導入した「グリーンチェーン認定制度(※注)」も、最初の5年間は、普及のためにお願いにまわりましたが、今は自主的に取得していただけるようになり、市内各地に緑豊かな景観が広がっています。

5年前に東京大学の大学院が行った調査・分析によると、流山市内の中古分譲マンションで、グリーンチェーン認定を取得したマンションは、そうでないマンションに比べ、一戸当たり約494万円も高く取引されていることがわかっており、認定制度が資産価値の向上に貢献していることが見て取れます。
※流山グリーンチェーン戦略|流山市

子育てを支援する仕組み

井崎市長/一方、街としての流山は、人・モノ・お金が流出するばかりでした。通勤は東京、通学も高校生になると市外の学校、買い物は柏、南部の人は松戸、北部の人だと野田へ出かけてしまい、流山には何一つ残りません。こうした状況から、人・モノ・お金の流入する街にしていくために、2つのことを考えました。一つは定住人口の増加。もう一つが交流人口の増加です。

まず定住人口の増加策については、共働きの子育て世代をメインターゲットにしました。この世代の人たちを呼び込むには、子育て・教育環境の充実が必須です。

よく自治体の少子化対策として、子供の人数に応じた補助金を支給する、あるいは、引っ越してくれば現金を給付するといった施策がありますが、お金を支給しても、現実に働きながら子育てできなければ、他の街へ移らざるを得ないわけで、その環境をしっかり整えれば、選び住んでいただけるのです。なぜなら、それこそが持続可能な環境だからです。

そこで、この10数年、働きながら子育てできる街を目指し、懸命に保育園を増やしてきました。さらに、2015年以降に建てられた200戸以上のマンションには、保育園の併設をお願いし、現状、この規模のマンションにはすべて保育園が併設されています。逆に保育園を設置していないとマンションの売れ行きが悪くなるくらいで、こうした取り組みを続けた結果、2021年春に、初めて待機児童ゼロになりました。

人口20万の街で約100の保育園を備えているところはなかなかないですし、流山は今、コンビニよりも保育園が1.5倍も多い街になっています。ただ、最寄り駅との関係でいうと、どうしても東京から離れた場所、駅から遠い保育園には空きが出て、便利な場所の保育園に人気が集中し、待機が生じます。

これを解消するため、流山おおたかの森駅と南流山駅の駅前ビルに「駅前送迎保育ステーション」(※注)を設置し、朝、ここにお子さんを連れてきていただくと、市内の指定保育所(園)への送迎をバスでサポートする仕組みをつくりました。朝はお父さん、夕方のお迎えはお母さんという風景が、流山では日常になっています。
送迎の様子

“駅前送迎保育ステーションがあるので、流山に引っ越してきました”という声も聞くようになりました。単に保育園を増やすだけでなく、若いファミリー層に選んでいただくにはどうするか、子育てで困っていることは何か、どういうサポートが必要かを考え、効果的に活用できる仕組みやインフラづくりも含め、働きながら安心して子育てできる体勢を整え、定住人口の増加につなげる努力をしてきました。

さらに、ここ4、5年は、“子供のそばで働けるまちづくり”にも力を入れています。市内に進出する企業やシェアオフィスなどに対して事業所内保育施設の設置をお願いし、“子どものそばで働けるまちづくり”にも取り組んでいます。
※送迎保育ステーションのご案内|流山市

快適で楽しい街へ

井崎市長/交流人口の増加策については、“楽しい”をキーワードに、質が高くて集客力があるファッショナブルなイベントの開催や地域資源を活かしたアーバンツーリズムを推進することで、広域から人を集める取り組みを行っています。

流山おおたかの森駅の駅前空間を盛り上げてくれるアーティストを「NYにぎわいアーティスト」に認定していますが、これは、私がサンフランシスコやニューヨークなどの街角で見たミュージシャンや大道芸人のパフォーマンスを、おおたかの森でもできないかと考えたものです。

サンフランシスコ市のpier(ピア)39

貧乏学生の頃、サンフランシスコの北にあるフィッシャーマンズワーフの「pier(ピア)39」という桟橋に建てられたショッピングセンターへよく行きましたが、ジャズやマジック、ジャグリングなどが楽しめ、半日過ごせます。周囲の人とも気兼ねなく話せ、とても居心地のいい場所でした。

森のまち広場(南口都市広場)NYにぎわいアーティストによるパフォーマンスの様子

森のまち広場(南口都市広場)も、「流山おおたかの森S・C FLAPS」がオープンし、広場を囲むようにブリッジができたことで、立体的な劇場空間のようになり、一層、ハイセンスでおしゃれなイベントが楽しめる空間にしたいと考えています。今は、YouTubeなどがあるので、おおたかの森のイベントが世界に発信されたら面白いですね。

それと来年5月には、「NAGAREYAMA国際室内楽音楽祭」の開催を予定しています。4年前から準備していたものですが、海外から演奏家を招くため、コロナ禍で2年連続中止となりました。5年前、世界的に有名なピアニストのご夫婦がドイツから市内に引っ越して来られて、何か貢献したいというお申し出をいただいたので、1年間、オープニングコンサートのコーディネートをお願いし、「NAGAREYAMA国際室内楽音楽祭」のプロデュースもお願いしました。来年以降、毎年開催していく予定です。

レベルの高い展覧会や演奏会を楽しむ流山市民は、これまで東京や柏へ出かけていました。でも今は、流山のギャラリーやホールで開催するようになり、さらに多くの市外の方々も、流山の施設を利用しています。流山から外へ出ていくのではなく、質とレベルの高い、楽しいものを流山から発信することで、いろいろな方々に訪れていただける街として交流人口を増やしていきたいと考えています。

03 流山を、世界へ

住み続けたい街、そして住みたい憧れの街として

井崎市長/毎年、「まちづくり達成度アンケート」を実施していますが、「これからも流山市に住み続けたいと思う市民の割合」が、2005年度は67.7%だったのが、2020年度では92.2%になっています。「流山市は住み心地が良いまちであると思う市民の割合」も、67.7%から87.6%に上昇し、「子育てがしやすいまちだと思う市民の割合」についても、以前の35.4%から60.2%と、かなり上昇しました。

3年前、「人口減少時代の流山市成長戦略」を策定し、これからの街づくりの方向性として発表しました。基本路線は今までと同様、“緑豊かな良質な住環境の維持・向上”、“快適で楽しい都市環境の創出”の2点に変わりはありませんが、加えて、“都心等への交通利便性の向上”、“住みたい街としてのブランド化”という項目を掲げました。

交通利便性については、流山市はベッドタウンであり、基本的には東京に通勤する人で成り立っている街なので、都心へのアクセスは重要です。これについては、TXの東京駅直結や国際空港へのバス便の増加などを計画的に進めていきます。

街のブランド化については、この15年間、マーケティング戦略を立て、「シティセールスプラン」として実行してきました。2021年3月に、今後の10年に向けた「ブランディングプラン」(※注)を策定し、いよいよ流山市はブランディングの段階に入ります。街としてのブランドを高めることで、住んでみたいと思う人を増やしていく。“住み続けたい街”だけでは、住民の数は徐々に減っていくので、新たに流山に住みたいという人を創出していくことが重要な柱となります。

※流山市ブランディングプラン|流山市

今後は、成熟した既成市街地の中古住宅が市場に売却物件として増加していきます。売る人よりも住みたい人・買いたい人を多くしていく。流山に住みたい人、流山のファンを市外に増やしていくためには、ブランディングプランで街の魅力をアピールし、流山市のブランド化をしっかり進めていかなければなりません。

日本の少子高齢化はさらに進むと思いますが、流山だけは人口が減らない、そういう魅力に溢れる街にしていきたいと思います。

SDGsにつながる、健康都市宣言

井崎市長/流山市は、2007年1月に市政施行40周年を記念して、「健康都市宣言」を行いました。これは、WHO(世界保健機関)が提唱する取り組みで、都市そのものを健康にすることで、そこに住む人々の健やかで豊かな暮らしづくりを推進していこうというものです。

2008年7月には、この理念に基づき、市民参加による健康なまちづくりの推進を目的とした「流山市健康都市プログラム」を策定しました。その後、このプログラムを、2020年3月発表の「流山市総合計画」(※注)の基本理念に組み込み、すべての政策を“都市を健康にする”という視点で捉え、実行しています。

また、2015年9月の国連サミットにおいて採択されたSDGs(持続可能な開発目標)は、2030年を目標年として、持続可能な世界を実現するための17の目標と169のターゲットから構成され、地球上の誰一人として取り残さないことを誓っています。

元々、流山市ではSDGsの理念に沿った“多様性と人材”、“民主的社会”、“持続可能な都市づくり”といった市政経営を進めてきたところですが、そこに“都市の健康”を基本理念の軸に加えたことで、流山市の取り組みとSDGsの結びつきがより強くなりました。総合計画では、その関連性を分かりやすく、施策ごとにSDGsのどの目標の達成に寄与するかを明確にし、総合計画を推進することでSDGsの目標達成に寄与することを示しています。

※流山市総合計画|流山市

世界の流山へ

井崎市長/2004年にマーケティング課ができた時、流山市のことがさまざまなメディアに取り上げられる日が来ることを願っていましたが、当時、その願いを共有できた人はいませんでした。

でも最近は、国内だけでなく、海外メディアからも取材依頼が来るようになり、シンガポールを拠点としたニュースチャンネル「CNA」の番組では、1時間の特集とニュースで取り上げられたのに加え、ロイター、アルジャジーラなどのメディアからも取材を受けました。私の願いが現実になったことで、周りの私に対する理解も広がったと思います。

最近は、流山に進出してくる海外企業も増えており、いよいよ国際資本が流山に投資する時代が到来しています。10年前にはまったく考えられなかったことですが、これからは“世界の流山”を目指していきたい。必ずしも人口が多くなくても、サンタバーバラ(米)やアマルフィ(伊)、フロイデンベルク(独)のように世界的に知られている魅力的な街はあります。

流山もハード・ソフトの両面で他に類のない街として、世界中の感度の高い人に知られる街、そんな唯一無二の街として発展していくことができればと思います。これからの流山にも、どうぞご期待ください。