NAGAREYAMAおおたかの森GARDENS アゼリアテラス設計
小堀哲夫建築設計事務所
小堀哲夫さんインタビュー vol.4
2021年11月に流山おおたかの森駅西口ロータリー前にオープンした、豊かな自然環境に近接した新しいワークスタイルを提案する複合ビル「NAGAREYAMAおおたかの森GARDENS アゼリアテラス」。
建物内の全区画において、周辺環境と緩やかにつながる縁側のようなバルコニーと、足元まで開放できる大きなガラス窓を有する、緑豊かな流山おおたかの森の街にふさわしいデザインと環境性能を備えた、西口駅前の新たなランドマークとなっています。
基本設計・デザイン監修を担当した小堀哲夫建築設計事務所代表の建築家・小堀哲夫さんに設計のコンセプトやオフィス環境に対する考え方、SDGsに関する建築分野の課題と取り組みなどについてお話を伺いました。
小堀 哲夫さん
1971年、岐阜生まれ。1997年、法政大学大学院工学研究科 建設工学専攻修士課程修了後、株式会社久米設計に入社。2008年、小堀哲夫建築設計事務所設立。2020年、法政大学デザイン工学部建築学科教授。
2017年「ROKI Global Innovation Center -ROGIC-」で日本建築学会賞、JIA日本建築大賞を同年、史上初のダブル受賞。2019年「NICCA INNOVATION CENTER」で2度目のJIA日本建築大賞を受賞。代表作/「ROKI Global Innovation Center -ROGIC-」、「NICCA INNOVATION CENTER」、「CIC Tokyo」、「光風湯圃べにや」他
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ゴミにならない建築
―― サステナブルという命題について、建築家の立場として、どのようにお考えでしょうか?
NAGAREYAMA おおたかの森GARDENS アゼリアテラス
日本の場合、なぜ建築が壊されてしまうかというと、建築を文化として捉えず、数字でしか見ていないからです。儲かるか儲からないか、耐用年数があるかないか。この建築がどういう価値を生んだか、人々にどう受け入れられたか、ということに関しては、二の次です。
世界的に見ると、建築を文化として捉える国であればあるほど、簡単には壊さない。街を熟成させるという意味でいえば、壊すものと残すものをきちんと考えて判断していく必要がある。
サステナブルというなら、建築を文化と捉え、熟成させていく街づくりも求められていくと思います。
仮に、壊すという選択をした場合でも、壊した建物の材料を再利用し、全く違うものとして転用できるかどうかという設計手法についても考えていく必要があるでしょう。今までは生産一辺倒でしたが、生産から解体、再生産につながるような建材の開発、設計手法が求められていく。鉄骨がどう造られていくのか、型枠はどう使われていくのか、私たち建築家は今まで気に留めてこなかったかもしれませんが、今後は、転用可能な素材や建材を考えながら設計する時代になっていくと思います。
“ゴミにならない建築”というのは非常に難題ですが、解体後の形がどうなっていくのか、材料の選定、分解のしやすさも含めて考えていく必要があるでしょう。
サーキュラーエコノミー(循環型経済)が進んでいるオランダのような国では、廃棄物の潜在価値を最大限活用し、それが経済として回っているので、要は廃材利用が生産と同じくらいのマーケット規模で成立している例もあります。オランダの最先端のオフィスや銀行などは、リサイクル素材を利用して造られています。
―― オランダの場合、どういうプレーヤーが先導しているのでしょうか?
基本的には国です。人材や資源がなく、多民族国家という国のありようで、EUの中で勝ち残っていくには、そういう戦略でイノベーションを起こす以外ないという発想だと思います。人材については、「ハーベストハンティング」という職業を創出し、再利用できる廃材をビルごとに判定し、それをデータとしてストックしていくチームがあり、設計事務所とつながっています。要は、ビルをハンティングする“収穫” という面白い発想です。
―― 建築を残す文化を熟成させていくとなると、何年くらいのタームをイメージされていますか?
例えば、アゼリアテラスのようなビルでも、優に100年は保つわけです。住宅の場合、減価償却できるのが木造だと20〜22年、コンクリートの場合は47年ですが、それをリノベーションで維持しようとすると、設備更新にお金がかかり、新築と同程度の金額になります。
私も大学の再開発に関わっているのでわかるのですが、同じ金額なら、新しい方がいいということになる。まだまだリノベーションと新築は同じコストなのです。でも、そこに「文化」というバリューが載ってくると、状況は変わります。
文化という価値は、街の記憶や建物への愛着、そして、建築のコンセプトやデザインなどであって、その文化的価値が認められれば、残そうという選択肢も出てくるのです。建築としてしっかりデザインしていくことで、そこに文化が生じるわけです。
デザインもせずにどんどん造っていくと、その文化的価値を残そうという意識が生まれないし、「available」でもなくなっていく。
例えば、岐阜県の白川郷の合掌造りは、移築することができます。なぜかといえば、みんなが価値を認めているからで、昔の造り方ゆえに、分解、再組み立てが可能です。昔は、それが普通のことだったのに、近代建築は、それを忘れてしまいました。日本は再生産の仕組みも含めて、文化的熟成度をどう高めていくかということが、建築分野も含めて大きな課題だと思います。
必要とされる未来につながっていくために
―― 2030年に向けたSDGsの目標について、ご自身のお考えをお聞かせください。
コロナ禍というのは、ある意味、私たち人間が森の奥深くに分け入り、本来、接触することがなかったもの同士が出会うことで起こった事故ともいえます。加えて、人口が集中したことで感染症が広まりました。
ウイルスは人類が存在する以前からあるもので、それがこれだけ爆発的に感染が拡大するというのは、密集して暮らしていることが原因で、ある意味、社会化した人類の宿命ともいえます。だから、都市がもう少し分散して、適度な距離感で、光と風を採り入れた健康的な場所になっていけば、ある程度、避けられるはずです。
建築を造る際も、人間本来のあるべき姿や働き方、そして、自然に必要とされる存在になるという考え方が大切で、自然に対するリスペクトを持つべきでしょう。私たち人間が自然や都市に必要とされているかどうかということは、もう少し真剣に考える必要があると思います。
循環というキーワードで解くとすれば、私たちがやっている開発や設計の仕方が、経済や合理性にばかり取り込まれていくと、手酷いしっぺ返しを食うことになるでしょう。
それは、もうすでに始まっていて、もっと長い目で見て、人間の生産行為が地球環境としっかりつながっているという感覚を持ち得るようにしていかなければ、取り返しのつかないことになります。
真の公共性というものを考えた時に、短期的なビジョンではなく、長期的に考えていく必要がある。再生可能エネルギーをどう成立させるかというのも重要な課題で、石油に頼らない街づくりも考えていかなければなりません。
水循環システムやビルで排出されたゴミを肥料に転換する仕組みなど、そういう小さい取り組みを積み重ね、未来につながっていく街づくり・施設づくりを本気で考えていくことが求められています。私たち建築や都市開発に携わる人間が、一つ一つの開発に対して、持続可能な、未来に必要とされるものかどうかをしっかり考え、見極めていくことが求められていると思います。
―― ありがとうございました。